比叡山行院
遠く丘の向こうから、ひとりの尼僧が駆けてくる。
どんどん近づいてくる。
その尼僧はクルクル回りながら歌いだす。
The hills are alive~ with the sound of music~
海外の尼僧さんだった。
アルプスの山々に響き、修道院からは聖歌が聴こえてくる。。。
そこで我に還る。
門前の掃き掃除をしていると、箸塚弁天さんの奥から、美しい修行僧たちの声が聴こえてくる。。。美しい...
実はこれが、一心に苦しみから逃れようとする、修行僧の精一杯の声だということは、中でやった者しか解らない。
大師堂で小僧をしていると、行院はただのお隣さんだ。
行院が開かれている間は、おばちゃん達からのおかずの差し入れとかがあって嬉しかった。
こっちがずっと停電していても、行院には発電機が届いたりしていて羨ましかった。
天台の僧侶が必ず通る道に、行院での60日の行がある。大抵の奴らがそこで初めての「シヌシヌ詐欺」を学ぶ。
基本的に「脱落=僧侶として終了」で、やり直しはできない。
人生の酸いも甘いも分かっているだろう、いい年こいた大人が精神で壊れて、若いやつが身体が壊れて脱落していった。
暴れている! と聴いて現場に向かった時には既に「オレに命令してくれえっ~」と発狂していて、助けられなかった方も、下山前夜「班長、すいません...」とずっと男泣き続けていた方も、私よりずっとずっと分別のある年配の方だった。
うちら同期は、生存率でいうと低い方だった。
緊張のあまりに、飯が不味い。あんなに嬉しかった、美味しいおばちゃん達のおかずが。
まわりの修行僧達が、箸が椀に当たる→怒鳴られる タクワンがパリと鳴る→怒鳴られる 喰うのが遅い→怒鳴られる
自分がノーミスでも、全くもって食事自体が「苦」でしかない。
因みに行院でのタクワンの位置付けは、最後の洗鉢のときのスポンジがわりで、擦り終わったら「丸のみ」だ。噛むものではない。
つづく
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