呪術のメカニズム
魔法
「科学的に証明されなければ、信用出来ない!」という人もいれば、そもそも『科学』自体が信仰なので、「科学的証明は信用の根拠にはならない!」
ま、確かにスイッチを入れたら電気が点いて、蛇口をひねったら水が出ますね...
電灯も水道もない時代の人には、いくら説明しても信用してもらえませんねぇ。。。「じゃ、作ってみろ!」とか言われても。。。
って、色々とご意見はあるかと思われますが
「魔法を使いたいっ♪」って方は、次回にその実践方法をいくつか書きますので、その時は参考にしてみてください。
今回はそのメカニズムについてのイメトレ
護摩は息災(そくさい)増益・調伏(ちょうぶく)敬愛の種類に別れ、窯が円形ならば息災護摩壇をなのだと思ってください。
息災法を習いましたが、調伏法は教えてもらえません。それでも、メカニズムは同じなんだなとある日気付きます。
よっぽど鈍い人でも、百日連続で三座も焚くと気付くことが出来ます。その代わり自身も薫製されますが(燻)
それでは本題
実は「負」の法、調伏法の方が実践し易いのです。
イメージしてみてください
あるイジメの一言に、リツイートが入ります。それはどんどん拡散していって、最終的にターゲットを自殺に追い込みます。
弱い人ほどエゴサーチしていますから。
これは言霊の集団意識ですよね?! ネットの世の中では、いま一番手っ取り早い方法です。
イメージしてみてください。
利害関係のないはずなのに、凄くコメントしているヤツ。昨今、とても頭の良い、そして喩えや節回しの上手い素人が増えました。
また、そのコメントを読んでしまう、更に利害関係の薄いヤツ(笑)
辣腕の評議員なのに、匿名モードの時だけ凄くて、実際に陪審員になって、すっごい苦しんで悩んで「死刑」って言って、その後の人生が灰なヤツ
これも集団意識の被害者達ですよね? 一体どこの誰の情報ですかね? ちゃんと一次資料にあたっているかどうかは関係ないですもんね?
一昔前には、「独りでコツコツ藁人形」、最近では「独りでねっちりストーキング」と相手を追い込む方法があります。
独りと集団と、どちらが効率的かというと、集団で行う方法に軍配が上がっているようです。
いわゆる「社会的制裁を加える」というやつです。
思念というものには、ある一定の質量があるとイメージしてください。一人の思念より複数の思念の方が重いというイメージです。
別のイメージです。
宗教というものは、集団をまとめるためのものとして生まれた、と考えていいと思われます。
その宗教儀式には、犠(にえ)を使うものがありますが、その贄の思念は昇華されることなく、その場に残ります。
生きている自分が「今」考えてみても、自分が訳もなく生け贄になって、ありがたく昇華していくイメージって出来ますか!?
自己犠牲の精神の方は、それはそれで素敵なことです。でも絶対数は少ない。 それは羊さんでも一緒。牛さんでも一緒です。
そうした残った、沢山の歴代の「負」の思念を護摩の行法中に垣間見る時があります。
「ちょっと翔んでみてください」と言われても、今すぐには出来ませんね?
それはなかなかイメージが湧かないからです。
逆に、悪い願い事には、残念ながら前列がある場合が多く、イメージを共有しやすいのです。
術者独りより、依頼人がいて術者とイメージを共有した方がより成功しやすいのですね。
その共有意識に、先程の歴代の、例えば「悔しい」「無念」といった思念が勝手に共鳴します。
リツイート勝手にされて、バズられていきますよね?
調伏の方が簡単なのは、わかりやすい前列があることが多いのがひとつの理由です。
「世界から戦争がなくなりますように」
ってお願い事されても、「人類史に争いが無かったことがない」
現時点ではとてもイメージ出来ない。。。 というロジックです。
もうひとつの理由は、効果がはっきりしていて体感しやすいこと。
イジメっ子に仕返しをしてやろうと、調伏法を行った結果、イジメっ子が逆にイジメられっ子になります。
大成功です!!
「家内安全」のお願い事を息災法で行った。とイメージしてみてください。
日々に変化が無ければ、なかなかその「変わらない」というありがたみに気付くことが難しく、相手にその効果を気付かせることは尚難しい...ということです。
「身体健全」のはずが、病気になったり、亡くなったりする場合もありますから。
今日はここまで
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