日本人の正典
むっかし〜むっかし〜 うっらしーまはぁ♪
いまでも、幼稚園や保育園で歌われているし、昔話の唄じゃなくても、「アンパンマンのマーチ」でもいい。
大人になって、歌詞をさり気なく振り返ってみると、道徳心であったり、倫理観のメッセージに気がつくことがある。
海外留学などすると、否が応でも身にしみるのだが、日本人には他人に言葉で伝えられるような、「自分の正典」というものを持っていない人が大多数だ。
そこへ行くと海外では、キリスト教徒であれば、はっきりと「自分の聖典は聖書です」と言い切ってくるし、イスラームであれぱ、それはクルアーンでありムスハフである。
「家は仏教徒なんだけど、正月には神社に行って、クリスマスにはケーキを食べてプレゼント交換をする」と言ったら、気持ち悪がられたものだ。
今でこそ海外でも大都市では、いわゆる「無宗教」な人々が増えてきていると聞くが、ここの層はほんっとに何も信じないから、「天の恵み」的な感情もない。
四書五経を読み込んでいなくたって、我々の生活様式には、儒教的要素が多分に含まれているし、神仏習合なんてそれよりずっと昔からだ。
クルアーンをムハンマドに伝えたジブリールは、キリスト教でいうところのガブリエルとする説があるが、いずれにしろ「天使」という概念は、それぞれの宗派以前の概念ということは間違いない。
「ワタシは生粋のナニナニ派だ!」って、言い切られると逆に「ぷぷっ!」って思ってしまう。
だから、仏教徒でもクリスマスケーキを食べてもいいし、イースターに夜叉羅刹の格好をして参入しても良くない?!
大体、如是我聞(にょ〜ぜ〜が〜もん)で始まるお経だって、「わたしはこう聞きました」って言っちゃったもの勝ちで、少なくとも一人称のフィルタを通しちゃっているもんだから、お経そのもの自体をありがたがる必要はない。
しかもその後に続く内容は、「浦島太郎」のお話と大差はなく、漢文だからかしこまって聞こえるだけで、密教(真言)だって実は、「火の神よ、おお燃えさかる清浄なる炎よ!」なんてジェスチャー(印)付きでやっているだけ。
どう読み解くか、どう伝えるか
全ての大元の教えは、結構シンプルなことしか言っていない気がする。
「みんな仲良くしてね」「いまを大切に生きよう」の二つだけだ。
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